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線路が怖くてピアノどころではない

線路

投稿者 : キョウさん(女性)

3歳か4歳の頃、ピアノ教室に通っていた頃の想い出です。

先生は、芸大出の有名な先生だったと思います。月謝もけっこう高かったと母は言っていました。しかし、レッスンをしている間、私は、疲れ切ってあくびばかり。

先生は、「もう疲れたようですね。では来週しましょう」とすぐにレッスンを終わりにしてしまいます。

それで、母はいつも、もったいないと思っていたようなのですが、実はピアノレッスンよりも、先生のお宅にたどり着くだけで私は疲れ切っていたのです。

というのも、週1回のピアノレッスンに通っていた時の私の記憶は、恐怖しかありませんでした。

というのも、家から先生の家まで、多分、電車で一駅くらいなのだと思いますが、その区間を歩いて通っていましたが、母がルートをショートカットするために、いつも、線路を歩いて通っていました。

その線路には、枕木の下を小川が通っていて、下を覗くと1メートルほど深くなっていました。

3歳か4歳の子供としては、枕木自体が自分の背より幅のある空間で、しかも、いつ、電車がやって来るか分かりません。

ただでさえ危険この上ないのに、枕木の1メートルほど下には小川が流れ、すごく離れた枕木の下は深さ1メートルもある穴で、いつ、電車が後ろから迫ってくるか分からない恐ろしい線路を歩かされ、ピアノのレッスンに通っていたわけです。

そのため、先生の家に着いた時には、もう、恐怖から解放され、あたたかな教室でピアノを弾き出すと、安心から眠気が起こって、コクリ、コクリ。

そういうわけで、私の年少の頃のピアノレッスンの想い出は恐怖しかありませんでした。

先生のピアノの発表会で上野の文化センターに行った記憶がありますから、かなり、有名な先生だったのだと思います。

しかし、いくら良い先生でも、母が面倒がって通う道を短縮したために、技術を得るより、疲れてしまった想い出しかないのです。

今思うと残念でなりませんが、母に話しても、その当時の私の恐怖に気づくこともなかったようで、高いお月謝を無駄にしたと思っていたようでした。

大人にとってはたいしたことでなくても、子供にとって通学路は恐怖となることもあるわけです。有名な良い先生に習うよい機会だったのですが、実に残念でした。

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